Thinking Cap #1「公園を再定義する。街の結節点をつくる挑戦」でのお話にもあった「渋谷の遊び場を考える会」の代表の入江洋子さん、“こどもと食”をテーマに、あらゆる世代が集まり、寄り添う居場所「景丘の家」を運営するマザーディクショナリーの尾見紀佐子さんに、「恵比寿というまちで育つ子どもたちに必要な場所とは?」「現代の家庭が抱えている課題とは?」屋外、屋内、両方で子どもの居場所をつくられてきたお二人と、サッポロ不動産開発(株)の岩本拓磨さんを交え、三名で恵比寿の街を軸に、子どもがのびのびと創造的に過ごすことができる"場づくり”についてお話いただきました。前編、後編2回に分けてその内容をお届けします。
Photo : Yuka Ikenoya(YUKAI)
Edit & Design : BAUM LTD.
渋谷区で初めてできた常設プレーパークの運営ノウハウと、地域との関わりが生んだ新しい遊び場とは
「渋谷の遊び場を考える会」の代表の入江さんの活動内容について教えてください。
入江「渋谷の遊び場を考える会」通称「渋あそ」代表の入江です。「渋谷はるのおがわプレーパーク」通称「はるプレ」を管理運営していて、「恵比寿南一公園」がプレーパークを中心とした公園にリニューアルするにあたり、管理運営を委託されています。はるプレは、2004年に渋⾕で最初の常設プレーパークとして開園しました。その頃、まだプレーパークの存在が知られていなくて、たまたま遊びに来た子どもや大人に「ここは何をしたらいいの?」とか「何歳から遊べるの?とよく聞かれました。
プレーパークを開園されるまでのいきさつを教えてください。
入江 私は出身が長野県なのですが、長野の中でも街中で、そんなに田舎ではありませんでした。でも、ちょっと足を延ばせば自然がいっぱいというところに住んでいました。結婚して渋谷に住むことになり、子どもが生まれてこの都会で「どうやって子育てしたらいいの?」「子どもはどこで遊ぶの?」と不安になりました。
田舎だと、神社にでも行けば近所のお兄さんお姉さんが遊んでくれたり、地域の人がみんな顔見知りで、なんとなく声をかけてくれたりしていました。子どもは地域の中で育っていくというのが当たり前だと思っていました。
でも、東京で暮らしてみて、そんなところではない、ということに気付いたんです。自分ひとりで調べたり、自分で出かけていったりしないと、何も情報が入らない。
実際に子どもたちを育てるのにどうしたら良いか探して出会ったのが、「原宿おひさまの会」という自主保育の会でした。未就学児の子どもを持つ親同士で預け合いながら、子どもを伸び伸び育てる活動に、子どもも私も充実した日々を送ることができました。
そして子どもは小学生になり、都会の学校の校庭では満足する遊びができず、自由に入れる公園は禁止看板だらけで子どもが思いっきり遊べる場所はありません。
そこで、渋谷区公園課の方に公園のことを教えていただいたり、プレーパークをやっている方々の講演会や勉強会をしていました。
2003年に他の地域団体と協⼒し、⼦どもの居場所づくり活動の⼀環として「せせらぎ冒険遊び場」を開園し、その後、区との連携もはかり、2004年に渋⾕区公園課と「渋⾕の遊び場を考える会」との協働事業として、渋⾕で最初の常設プレーパーク「渋⾕はるのおがわプレーパーク」が開園しました。
ほかの地域にも常設のプレーパークが必要と考えていたけれど、なかなか実現できずにいました。そして恵比寿南一公園がPark-PFI制度を活用してリニューアルすることとなり、サッポロ不動産開発株式会社が指定管理事業者に、渋谷の遊び場を考える会が管理運営を担うことになったのです。
岩本 恵比寿南一公園を、プレーパークを中心に広げていこうということになったとき、「渋あそ」さんの力が重要だと感じました。我々はここ恵比寿で事業を展開していますので、恵比寿という場所の特性を活かしたり、地域の方との関係を大切にしたりしています。
地元の方とコミュニケーションを取りつつ、「子どもが自由な発想により自分の責任で自由に遊ぶ」というプレーパークの基本理念に基づく形で、この公園が生まれ変わったのです。
子育ての経験とメディア運営の知識を活かし、利用する人にも地域にとっても心地よい居場所づくりを
その恵比寿には、“こどもと食”をテーマに、あらゆる世代が集まり、寄り添う居場所「景丘の家」もあります。こちらを運営されている尾見さんに、これまでの活動についてお伺いします。
尾見 私は早くに結婚して、3人の子育てをしたのですが、最初の10年は専業主婦だったんです。私自身、生まれが箱根で育ったのは伊豆なのですが、周りに親類がいない中で子育てをすることがこんなに大変だったのか、と改めて感じました。そして、都会での子育てについて自分なりに考え、気付いたのが、子どもにとって自然が大切だということでした。
それと同時に、子どもを育てるだけではなく、社会とも関わりたいという気持ちもありました。自分が経験したことをほかのお母さんたちに伝えたいという思いもあって、フリーペーパーの中でマザーディクショナリーという活動を始めました。
尾見 若い頃は自由気ままに生きてきた女性たちも、お母さんになって、自然と触れ合う育児を取り入れたり、オーガニックなものにこだわったり……。そういう方がたくさんいらしたので、特集を組んだんです。さまざまなジャンルで活躍するお母さんクリエイターに登場していただきました。その当時、25年くらい前になるのですが、子育てメディアというものがあまりなくて。たくさんの反響がありました。
そこで、ウェブサイトを立ち上げたり、イベントを開催したりしていたんです。渋谷区役所の近くの水道局の跡地を母体である会社が借りて、そこでイベントを実施したりしました。お母さんたちが集まるようになって、その存在を当時の区長も知ってくださって、これからの時代はこういう場所が必要だよねと思っていただけるようになりました。
そしてできたのが、「渋谷区こども・親子支援センター かぞくのアトリエ」です。乳幼児親子や小学生の居場所、交流の場として2013年にオープンしました。その後、小学生から大学生までの子どもの感性を刺激する場所として、「代官山ティーンズクリエイティブ」の運営も担うことになりました。
私自身は教育や福祉の分野を専門としてきたわけではなく、メディアの知識と子育ての経験を活かして子どもたちのために何かできないか、と考えてきました。子どもたちにとって居心地のいい場所、お母さんたちのほっとできる居場所を作りたかったんです。
代官山ティーンズクリエイティブに来るのは、多感な時期のお子さんたち。さまざまな環境のこどもたちが自由に集まり、過ごし、多様なジャンルで活躍するクリエイターとのワークショップや関わりを通して、自分の可能性を開く種まきができたら良いなと、日々たくさんの機会を用意しています。今活躍しているラッパーのちゃんみなさんやダンサーのアオイヤマダさんなども通ってくれていました。
尾見さんは現在、「景丘の家」も運営していらっしゃいますが、始められたきっかけを教えてください。
尾見 「景丘の家」は、渋⾕区こどもテーブルの拠点の1つとなっています。景丘の家は、故・郡司ひさゑさんの遺志により寄贈された土地なのですが、「子どもたちのために」という想いを継いで今の姿になりました。建て替える時に、食をテーマにどのように展開していこうかと考えました。いろりがあったり、かまどがあったり。多機能な場所、児童館ではなく、幅広い世代の方が集まれる地域の居場所になってほしいと思いました。
食に限らず、皆さんのサークル活動にもご利用いただける環境が整っています。地下には個人で利用できるスペースもあり、昼間は大人が楽器の演奏をしたり、夕方は子どもたちがダンスの練習をしていたりとさまざまに利用しています。恵比寿南一公園と景丘の家は近いので、子どもたちは行ったり来たりして、自由に楽しんでいます。
入江 ある子どもたちが、「公園に行ってから景丘の家に行ってはダメなんだよ」と話すんです。どうしてかと聞くと、「ドロドロの靴のまま景丘の家に行ったら汚れちゃうでしょ」って。そんなルール、ないんですよ(笑)。でもね、子どもたちは、自分たちの経験から、これだと汚れちゃうな、申し訳ないな、とか考えるわけですよ。子どもたちはみんな、自分で考えて行動する、ということが自然とできるようになっているんです。とても大切なことだと思います。
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取材当日、どろこん山に遊びに来ていた小学生の男の子が、尾見さんや入江さんに親しげに話しかける姿がありました。父親でも母親でも、学校の先生でもない二人がいる「景丘の家」やプレイパークは、子どもたちにとって、「家庭以外のもうひとつの安らげる居場所」となっているような気がしました。入江さんも、尾見さんも、都会で子どもを育てる母親のリアルな悩みや不自由さを経験した方だからこそ、これまでのお二人の活動に多くの方が共感を抱いたのではないでしょうか。後編では、現代の子育て世代が抱える課題や地域社会と繋がるきっかけとなる場所の必要性についてお話いただきます。