第2回は、恵比寿ガーデンプレイスの斜向かいにある、日仏両国の相互の文化交流の場「日仏会館」。日本経済近代化の礎を築いた渋沢栄一と、著名な詩人でもあった当時の駐日フランス大使ポール・クローデルらによって1924年に日比谷に設立され、その後御茶ノ水を経て1995年に恵比寿に移転し、現在に至ります。建築を手掛けたのは日本設計です。
前編では、日仏会館の紹介とともに設計を手掛けた日本設計に設計当時のお話や建築に込めた想いなどを伺いました。
Text : Tomoya Kuga Photo : ERI MASUDA Edit & Design : BAUM LTD.
Text : Tomoya Kuga Photo : ERI MASUDA Edit & Design : BAUM LTD.
新しい技術を取り入れ、伝統と新たな建築表現を融合した建築
恵比寿ガーデンプレイスを広尾方面に通り抜け、くすの木通りとプラタナス通りが交差する角地に日仏会館はあります。日本とフランスの交流の拠点である日仏会館は、両国それぞれの事務所や、美術や医学を始めとした関連学会のオフィスが入る他、一般の方でも利用できる図書室、展示会や講演会に使えるギャラリースペース、シンポジウムやコンサートといったイベントを開催できる130名収容のホールなどが備えられた複合施設です。
コンクリートとガラスで構成され力強さと透明感を併せ持つ外観は、常に変化し続ける恵比寿という街の中にあって落ち着きをもたらすと同時に、2024年に創立100周年を迎える組織の歴史と威厳を感じさせ絶妙な調和を保っています。
地上7階、地下1階建てのこの建物は、立地が斜面になっている関係でエントランスは2つに分かれています。南側メインエントランスから内部に入ると4層分の吹き抜けとガラス壁面という開放感あふれる空間が来訪者を出迎えます。西側にあり、イベント開催時のみ使用されるホールエントランスに足を踏み入れると、ホワイエの奥に設置された2階へとアクセスできる光庭が目を惹きます。
あらゆる人を拒むことのない親しみやすさを持ち、一方で静謐さを湛えた機能主義的なデザインは、かつて御茶ノ水に存在していた旧日仏会館の造形を継承したものです。
「旧会館を設計したのは、近代建築の巨匠と言われるル・コルビュジェ氏に師事していた吉阪隆正氏です。師の影響を受けた吉阪氏は、コンクリートを活かして力強さを表現するデザインで御茶ノ水時代の日仏会館を設計したと聞いています。恵比寿の新館の設計を担当した大木雅彦氏は、旧会館が持つコンクリートの造形力を継承し、コンクリート打ち放しのワッフルスラブを主体とした構造架構で、伝統と新しい建築表現を融合させた建築空間を目指したそうです」。
こう話すのは日本設計の小坂幹さん。新館の設計を担当した大木氏は残念ながら既に日本設計を退職していたため、今回は日仏会館の図書室の改修に携わった経験を持つ小坂さんに建物の設計意図や特徴を伺いました。小坂さんは「私自身は当時日仏会館のプロジェクトに関わっていたわけではないので、依頼内容やコンセプトについては明確でない部分も多い」と前置きしますが、それでも「社内では注目を集めた案件だった」と言います。
「1980年代後半から1990年代前半にかけての建築界は、ベルナール・チュミをはじめフランスを舞台に活躍する建築家が注目を集め、フランスの現代建築がシーンを席巻していた時代でした。それと同時に、業界全体が新しい技術を導入する意欲に満ちていて、日仏会館もそのような流れを汲んだ建物です。それを象徴するのが、DPG構法というガラスの隅に穴を開けてボルトで連結する方法で造られているファサードのガラス壁面です。私が初めて実物を見たのは、パリのラ・ビレット公園に1986年に建設された科学産業博物館のガラスファサードでしたが、日仏会館では同じ工法を日本初に近い形で採用しました。当時の一般的な構法であればサッシ枠を用いていたと思いますが、おそらく透明性を確保して躯体だけをシンプルに見せたいと考えていたのでしょう。非常に斬新な取り組みだったと言えます」。
コンクリートとガラスが組み合わさった形態は離れた場所から見たときにも高い視認性を得られるので、イベント目的などで初めて訪れる方でも気づきやすくする意味を持つのでしょう。また、建物の内部にも当時のトレンドが色濃く反映されています。
「日仏会館の設計がなされたのは、ポストモダニズムが終わり、意匠を排除した機能的なデザインが潮流になっていた時期です。私もその時代を経験していますが、コンポジションで全体の形態を考え、機能を重視させながらどのように美しく見せるかにこだわっていました。そうしてできあがった無駄のない空間は、時代を超えて普遍的なものになりますので、建築家にとってはひとつの目的地になると思っています。ただし、建物の寸法を定義するエレメントだけで空間を作り上げるのは、建築にとって一番面白く、一番難しい部分でもあります」
日仏会館の場合、ホールエントランスからホワイエに続く階段やホールの入り口では直線と曲線が組み合わされた造りになっています。一見シンプルではあるものの、エレメントが組み合わされたこれらのエリアは重要な見どころです。
一方で、設計を担当した大木氏のこだわりや、日仏会館ならではの特徴も随所に散りばめられています。例えば屋内消火栓ボックスの扉面は鉄板パネルが用いられるのが一般的ですが、周囲のコンクリート壁面になじませるためにスチール建具にコンクリートを打設しています。
そして、ホールエントランスに入ってすぐのところに設置されているタイルは、旧日仏会館から移設してきた吉阪氏デザインのものです。
さらに光庭の壁面はこのタイルをモチーフにデザインされていて、日仏会館の歴史が受け継がれていることを表現すると共に、重厚さを有する施設の中で親しみを感じさせるアクセントになっています。
恵比寿は変化を続けるなかでも“昔の東京”が残る魅力的な街
上述のように、小坂さんは日仏会館の図書室の改修に携わっています。その経験もあってか「日仏会館は両国の学術をつなぐ中心地」というイメージを持っているそうです。
「日仏をつなぐ施設として都内にはフランス語講座などを展開する東京・飯田橋の『東京日仏学院(旧アンスティチュ・フランセ東京)』などもありますが、図書室の蔵書も歴史や社会、哲学などの蔵書が多い日仏会館はより研究者の方向けの情報を有していると感じます」。
小坂さんは日仏会館との関わりはそこまで深くはないものの、実はフランス語に大変興味をお持ちで、「東京日仏学院」に長年通っているそう。また、プロジェクトマネジメントの専門家として在日フランス大使館建替プロジェクトに携わった経験を持ち、フランスの人々や文化とは継続的につながりを持ち続けています。また、在日フランス大使館が広尾にあることもあり、恵比寿周辺にも度々足を運んでいたと言います。
「昔の恵比寿は駅から離れるほど閑静な住宅街が広がり、逆に駅周辺は繁華街が広がっているというイメージでした。恵比寿ガーデンプレイスができて以降、特に山手線の内側の街並みは大きく変わり、多種多様な人が訪れる街になりましたよね。それでも、渋谷の再開発が周辺地域にも展開されている昨今でも、昔の東京の面影を残すエリアも多い恵比寿はとても魅力的な地域だと感じます。私の小・中学校の同級生が経営している焼き鳥屋『鳥つた』も恵比寿にあるのですが、おいしいお店が多いのも特徴ですね」。
先進さを持つ反面、どこか落ち着く雰囲気を持つ街だからこそ、日仏会館のような歴史と革新性を持った建物が上手く混ざり合うことができているのかもしれません。
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今回、編集部は初めて日仏会館の中に入ったのですが、外観の印象よりも中に入ることで設計者のこだわりを随所に感じられて驚きました。特に、日本設計さんがお話してくれたガラスのファサードやワッフルスラブの天井、イベントホールのホワイエ空間などはポストモダニズム建築以降の無駄のないスタイリッシュな意匠でありながら遊び心も感じられる、まさにフランスらしいエスプリのきいた建築だと感じました。後編は、日仏会館という場所をさらに掘り下げ、その歴史や意義、フランス文化の魅力などを、日仏会館の常務理事である美術史学者の三浦 篤さんにインタビューします。
Vol.2 「日仏会館」(総合設計事務所・日本設計)【後編】へ
「公益財団法人日仏会館」
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